無意識の中の生き辛さの正体を暴く 太宰治「人間失格」

カタヨリ
誰もが抱えているんじゃないかな、生き辛さって。
「わかってない事」って、自分が思っている以上に多い。
興味がない事についてのそれは良いとしても
直接自分に関わる「わからない事」ってとても不安になるよね。
例えば他人が自分をどう思っているか、とか。
まあ他に「わかってる」と思ってる事であっても、もしかしたらわかってるつもりなのかもしれないけど。
この話の主人公「大庭葉蔵」は世の中に蔓延る「〇〇ってそういうもの」っていう、分かったつもりになれなかった人。
他人を理解しようともがくんだけど、わかるはずもなく、人にえも言えぬ恐怖を抱くようになる。
その思慮深さ故に、その恐怖感は奥行きをもち、その深みに嵌ってしまった葉蔵
「他人が好む人間を演じる」(本編では《お道化》と言っている)という処世術を身に付ける。
そんな世の中に生き難さを感じている葉蔵がどんな人生を送るのか。
葉蔵が書いた手記を読み進めるかたちで物語は進んでいく。
葉蔵は小さな幸せを手にし、それをある時は自らの所為で、またある時は他人によって失っていくの。
まあ本当に自分が送っている人生の縮図をみてるような。
時代、環境、状況は違ど、根幹は同じなんだよね。 今も昔も。
私は葉蔵の《お道化》って凄くわかったの。と、同時になんだかザワザワした。
これって人が他人と生きる上で、必要な力だと思うし、もはや無意識レベルでやる事の方が多いと思う。
自分の世間におけるキャラ設定とでも言おうか、「自分ってこういう人」っていう他人のイメージに嵌ろうとしてるっていうか。
でもこれは無意識にやってるんだよね、だからそんなに窮屈でもないし、それが本当の自分っていう気もする。
ただこれを意識的にやってるとしたら、そもそもそのことを認識できてしまったら、
それは生き辛さに繋がっていくと思う。
だからなんでもかんでも客観的に俯瞰的に観ちゃうときっとしんどくなるよね。
時々はわがままでも、自分勝手に生きても良いんじゃないかな。
結局はそのバランスが大事なんだよね。
この作品、フィクションではあるけれど、作者の太宰治自身が実際に体験した事が色濃く反映されてるみたいなんだよね。
女の人と心中して自分だけ生き残っちゃうとか。
だから一人の人生の物語としてよりリアリティのある作品になってるのかもしれない。
私は読んで良かったと思った。色んな事を考えた。自分の身辺整理っていうか。
小難しい表現等もなく、読みやすい作品なので是非読んでみてね!
カタヨリ
誰の為に生きているのか。時々立ち止まって考える必要がありそうね。
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